姉妹都市盟約締結
姉妹都市関係締結戦前より、カリフォルニア州はじめ米国西海岸には、多くの日本人が移民として訪れ、慣れない土地と言語の壁に悩まされながらも必死で生活を営んでいました。
特に農業地域として発展したモントレー半島には日系移民の人々が多く移り住み、戦後75 年を超えた現在でも、多くの日系人の方が、この地域で農業を営み生活しています。
1955 年(昭和 30 年)頃、旧鹿児島県串木野市の農家約 70 名も、アジア難民救済法によって、カリフォルニアに農業移民として来訪しました。現地では、カリフォルニア串木野人会が組織され、互いに支え合いながら、サリナスを中心としたモントレー半島の地域社会に溶け込み、農業その他の各分野で成功を果たしました。
串木野市とサリナス市の姉妹都市締結に向けた議論は、1975 年(昭和 50 年)頃、 カリフォルニア州串木野人会とサリナス市とのつながりの深さから始まったといいます。1976年、サリナス市を訪れた訪問団一行の報告を受けた当時の串木野市長は、「遠く異国の地で成し遂げられたこの尊い経験を郷土串木野の青少年のなかに培い、また在米串木野出身者の二世、三世の心の中に祖先の郷土を生かし続けることになれば、郷土を愛する心、世界を愛する心が青少年の身体の中に自然に育つのではなかろうか、そしてこのことがまた我が串木野市の発展につながるのではないか」と述べ、両市の姉妹都市関係締結の必要性を訴えたとのことです。その後、両市の気運は盛り上がり、サリナス市からも訪問団が派遣され、1979 年(昭和 54 年)5 月 27 日、両市市長の間で姉妹都市関係が正式に締結されるに至りました。
1979年5月
串木野市とサリナス市の姉妹都市盟約が
神奈川県小田原市で行われました。
この瞬間から40年を超える両市の交流が始まりました。
締結後の姉妹都市活動の歩み 姉妹都市関係締結後、串木野市とサリナス市では親善訪問団の相互派遣事業を行っ ていましたが、1987 年(昭和 62 年)からは、国際感覚を有する青少年を育成するとともに、世代が移り変わっても、串木野市とサリナス市が日系移民の歴史でつながっていることを忘れないようにするため、学生の派遣・受入れを相互に行う事業も開始 されました。 その後、串木野市と市来町の合併により、いちき串木野市が誕生し、これに伴い 2006 年(平成 18 年)8 月 4 日に、サリナス市において、改めて姉妹都市盟約再締結の調印式が行われました。
2006年8月4日
調印式式典にて両市長が更なる交流の発展を祈念してケーキカットを行いました。
1979年5月
姉妹都市盟約締結にあたって、塚田串木野市長(当時)がヘンリー・ヒビノサリナス市長(当時)に送った締結文章の原案
平成20年度
姉妹自治体交流表彰 総務大臣賞を受賞
地域の特色や歴史的な意義を活かし、市民レベルの草の根の交流を地道に長く続けたことが評価され、平成20年度 姉妹自治体交流表彰 総務大臣賞を受賞しました。
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